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一般財団法人北海道河川財団会長 北海道大学名誉教授(15代総長・放送大学名誉教授(5代学長))
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 明けましておめでとうございます。今年も様々なことが、国内外で起こりそうな予感のする年です。自分の立ち位置をしっかりと定めて、右顧左眄することなく生きて行きたいと望む年の初めです。
 
2016(平成28)は、身近なところでは3つの連続台風の北海道への上陸し、迷走10号台風のなれの果ての停滞を加えて、連続4台風による、全道一円の大水害に見舞われ、農地・集落・交通網が大被害を受け北海道の基盤システムの基本を見直すべき警告を自然・社会構造両面から受けました。今年はそのことを、じっくりと検証して開道150年の基とする必要があります。
 
世界的に見ても、ポピリズムの蔓延とミーイズムの無反省の下で、公共の概念がどこまでも曖昧になってきて、ポリテカルコレクトネスの拡大が都合のいいように、左右様々な陣営の行動の賛否(Pro & Con)にまで使われ、社会的な慎みと支え合いを傷つけてきたように思います。
 
我々の道立総合研究機構も平成22年の創立から8年目を迎える年となりました。それまでの道立の22の研究機関は、縦割りに個々の分野では確りと働いてきましたが、21世紀のシステム科学・技術の時代に対応して北海道を支えるにはあまりにも狭視野であったように思います。
 
北海道も日本も縦割りをよしとして居たわけではなく、総合的に見ようとして努力を重ねていたと思います。結果として、システム評価が不十分なまま、総体的な数値目標、結論としてどれだけ収益が上がるかといった金の多寡に、すべての評価が意識・無意識にかかわらず委ねられてしまったように思われます。しかも評価を、分野別、地域別、組織別にやれることから始めた結果、総合的に守るべきものに対応策を講じきれず、トカゲのしっぽ切り型の判断さえあり得ました。一方では、総合的評価が出来ぬまま相補・補完的システムの整備さえもが個別に進められ、結果として総合的にしかありえない集落民・都市民の日常について「手足ばらばら」を感じるに至る事さえ起こります。
 
道総研の今年は、21世紀の後半に訪れるであろう、鉱物資源エネルギー枯渇(石油・天然ガス・石炭・U235など)による近代300余年の文明駆動の基本エネルギーの根本的枯渇に対処して、再生可能エネルギーを基準とした様々な産業・集落・日常生活の設計の基本となるシステム研究を一丸となって始めなければならないと思います。政治も行政もその準備を10~20年かけて始めて呉れてはいません。道民の税金を頂く公設試と心ある大学人が今動かなければ、長い準備が必要な次の文明への接近に間に合いません。
 
進歩・成長を神とあがめ、ひたすらマネタリー基準で駆動してきた近代は、この後半世紀で、環境資源・鉱物エネルギーの大量使用が出来ずに急速に終焉するでしょう。次の文明がどのようなものであるかを、84年生きてきた老人域の小生でも、近代人としての経験しかありませんからしかとはわかりません。幼少のころの、物・エネルギーの乏しかった経験が少々思い出される程度です。人と人、人と自然が共生して平和に暮らす近代の次の文明の価値がどのようなものであるかを想像してみるほかはありません。デカルト・ニュートン・アインシュタインに始まる近代科学のツールしか対応のための道具はないようです。生命と自然をつなぐ新しい文明的価値を、近代までに人類が積み上げてきた自然科学の基礎の上にどう創っていくが、研究者としてまた学ぶ人として必須の、次の時代へのシステム思考であろうかと思います。「価値の創造が価値」である時代が来るでしょうか。
 
道総研の研究者は、今までやってきた仕事が未来の創造に何ほどの価値があるかの評価を試みてみてください。「点検は自分でするもので評価は他人が下すものだ」と常々申してきましたから、評価を考えた自己点検をしてください。
 
がんじがらめに組み合わされた行政の日々の運びを変えるのはすごく大変なことのように思われます。研究者はそれとは違います。新しい地平を切り開くための仕事を始めてみませんか。それは何を目指すかによって、選ぶべき課題は全く違ってくるはずです。日常の相当のものを思い切って止めなければ、成果予測の不確かさのある新しい時代を開く研究課題に向かっての研究者の脱皮は進みません。現在の課題が、未来の社会にふさわしいものであれば、さらに仲間を増やし、広領域化・複合システム化を進めてください。
 
世界は広く、70億人の世界に住むホモサピエンスのうちの僅か1億人だけが日本人です。日本人以外の知恵・努力に学ばずに閉じた思考と経験のみを足掛かりとしただけでは、22世紀を望むには不十分です。今の小学生が小生の年まで生きれば22世紀です。近代社会はとっくに終焉しているはずです。生半可の歴史観・世界観ではこの難しい時代の転換期の先導的研究者は務まりません。道総研の最大の弱点は国際化にほとんど対応できていないことです。インバウンドの観光客を何百万にしたいということも善いですが、北海道の基本的な産業・社会構造・知的水準がどこまで国際化に耐えるかが問われています。行き過ぎたグローバリズムは近代の次の時代には、地域の文明を基盤に据えた上での広域ネットワークという、特徴ある地域価値を重視した地球文明に成熟していくようにお思います。建前は別として、人は地球の果てまで隣と同じように熟知し汗を流せません。足元からしっかりと地域・地域に立つことの複合で、アフリカ・中近東の紛争も収まっていくでしょう。
 
逆説的ですが、難しい時代、ひどい時代が次の文明の足掛かりになるように思います。研究者は視点を上げて、するべき事(しない事)を定めることに、知性と研鑽を費やしていきたいと思います。研究所の主幹・部長・所長さんのような経験豊かな研究リーダーの奮起と塾考をお願いしたい思いです。

 


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 昭和8年(1933年)3月生まれの酉年で、7回目の年男だそうである。2回目は昭和32年大学院を出て北大講師になった。3回目は昭和44年北大衛生工学科上水工学講座教授になった年で、大学紛争が始まる。吉と最悪の両懸りの年。5回目は平成5年工学部長として大学院重点化に骨身を削る。6回目は平成17年放送大学長で幕張に働く。6年間の北海道大学総長の激務を終えて、生まれて初めて札幌を離れ、家内と犬との自由な暮らしを6年間楽しむ。7回目の今年はまだ、北海道立総合研究機構の理事長を卒業しきれずに、傘下の1150人の所員を統括する仕事で道内を飛び回っている。老害にならぬよう自戒し、引退を考えている。「90歳で何がめでたい(佐藤愛子著)」に同感の心境です。
 今年は、私の83年の人生の中でいくつかの大きな出来事のあった年の一つである。
 
宗谷の田舎から出てきて、札幌師範の付属小学校の1年生となり、以後今日まで77年間札幌の住人となった。最初の年、昭和14年は今年の様な大雪の年であった。昭和16128日の太平洋戦争の始まった年、昭和208月の敗戦、昭和37年のフロリダ大学留学とキューバ危機、そして淡々たる日本の高度成長と閉塞の後に、ついに来た転換点かと思われる年が、今年の平成28年である。まだ、道立総合研究所の理事長として、北海道の将来に責任を感じる立場にいる。
 
立て続けの世界各地のテロの頻発と、大量の難民の発生と異なる宗教間争いの問題、英国のEU離脱、トランプ米新大統領の出現、中国海軍の列島線への進出、ロシヤの居直り。前の三つは近代の終焉を告げる兆候と思われますが、後二者は近代化をしそこなった国が遅れてやってきて、近代文明にとどめを刺すことになるのではないかと心配です。1930年代後半の後進の近代化国、大日本帝国の往時のメンタリテーや軍主導の強権的中枢機構の挙動を彷彿させます。
 
北海道も新幹線を喜んだと同時に、地域の幹線路線・生活路線が成立しなくなる愚を招きました。リニア―東海道は論外としても、子供のころから当たり前であった様々な事柄が、すべて変わってくる。短小軽薄な社会の仕組み。幼稚化した公共放送。我慢の無くなった、親子・生徒・学生。すべての社会実装が基本的な連携ネットワークを欠いたまま、政争、論評、時には無責任な批判の種にさえなり、それがSNSでもっともらしく広がる。
 
3つの台風が北海道に立てつづけに上陸し、迷走台風10号が後を追い道南に停滞して明治31年以来の大水害を田畑と町にもたらした。昭和56年の連続2台風を定規として議論を重ねて作り上げた石狩川の基本計画で、本流は何とか守られたが支流や他の地域の河川はずたずたにされた。小生が委員長を務めた石狩川流域委員会を経て開発局が策定した連続台風への対応への限界を超えた4台風連続であり、国管理の河川と道・地方自治体管理の河川の接続不良も顕在化した。近代河川管理システムの盲点である。
 
近代システムが音を立てて崩れていくように思える。日本近代化の後半の80年を国の内外で働いてきた小生が改めて思うことは「近代の終焉」がいよいよ始まったという感慨である。

 1997年ごろ、北海道開発庁次官加藤明氏と北海道大学総長丹保憲仁の間で、エルムトンネルで北大を東西に抜けることを了解したのと、寿命の尽きた北大ポプラ並木を防風林が本来あるべき東西方向にポプラを並べて旧ポプラ並木のクローンを農学部造林講座の五十嵐恒夫教授に作ってもらって、堂垣内元知事と共に北大120周年記念に植樹した平成ポプラ並木の植樹を行いました。
 
さらに、札幌扇状地の水と緑の復活に創成川経由毎秒0.3m3の水利権を確保することを計画し水利権を獲得しました。0.1m3/secはおそらく安春川の環境用水として使われたと思はれます。残る0.2m3/secの内0.1m3/secは北海道大学内を流れるサクシュコトニ川から新川への流れの再生に使うことが予定されていました。創成川から、植物園に水を送りメムラインの回復を果たし、旧伊藤邸宅のメムを経由し、日本最初の鮭ますふ化事業を営んだ精華亭の池に入り、北大のサクシュコトニ川の源頭に至ります。
  小生が北大総長時代に半ば再現したサクシュコトニ川は、札幌市水道局の好意と札幌市に勤める北大OG//OBの努力によって札幌市藻岩浄水場の急速ろ過池洗浄排水の清浄水を植物園前でつないで北大構内まで導き、サクシュコトニ川が辛くも再生したもので、本来は0.1m3/secの水を緑の豊平川扇状地復活計画の中で考えようとしたものです。恵迪寮裏の原始林を雪解けには溢水空間とし、水芭蕉・よしを再生し、ヨシキリを引き寄せ郭公がなく森にまで戻すのに半世紀が要るのでしょうか。小生が北大生であった1950年代のサクシュコトニ川と郭公の森が札幌に戻ってほしいと思うものです。
 
開拓使が豊平川扇状地を道都に選定した功績の再現が、固い地盤と豊かなメムを育む地下水露頭などであり、開道150年の文化遺産として目に見える形で22世紀まで道民に残したいものです。

 北海道は日本列島弧の最北端に位置していることから、南からの温く湿度を持った気団は北海道には到達しにくく、北海道には梅雨がない。降水の半ば日高山脈の西側(日本海側)では冬期の積雪であり、東側平野は積雪も少なく、流出の大きな部分は春の脊梁山脈(大雪・日高)の融雪による。従って、川の高水は融雪期に定期的にみられ、蛇行する石狩・天塩などの原始河川沿岸の低湿地帯の災いであった。北海道の主要都市の年平均降水量は1,100mm前後で、東京1,500mm、那覇2,000mmに比べて著しく低く、台風被害はまれである。北海道に住む我々は、1降雨継続で200mmを超える雨が降ると大きな危険を感じる。この夏続けて200mmを超える降水量を持つ台風が3個も続けて上陸し、近隣を通過した2個を加えると5個もの台風とそのなれの果ての温帯性低気圧に見舞われた。

 歴史を振り返ると、台風が本道に直接襲いかかり、北海道開拓が大挫折を受けたのが明治31(1898)96(4日から21に至る)石狩川大洪水で、上川からの本流、支流空知川、夕張川:幌向原野両岸の平地がすべて水没し、石狩川流域に幅40km、延長100km56,000ヘクタールにも及ぶ湖が出現し、死者300名、全壊家屋3,500棟に及んだ。橋も鉄道も流され、耕地の5分の1が失われ、1万人以上の開拓民が北海道を離れ、開拓事業が大頓挫した。早くも9月には、「北海道拓殖に関する治水について」の誓願が北海道協会会頭から内務大臣に出され、10月には北海道治水調査会が設立され活動を始める。岡崎文吉博士の原始河川治水論、結氷河川対応などの論があって、最初の石狩川治水計画が自然河川を意識しながら進行する。この時の台風経路は今回北海道に上陸した3個の台風と殆ど同じである。
 
昭和29(1954)926日、日本海沿岸を北上した15号台風は強力な風台風で、青函航路を直撃し洞爺丸ほかの連絡船を覆没させ、1,115名に及ぶ水難死者をだした日本最大の海難事故を惹起した。その後世界最長の青函トンネルが作られる最大の契機となった。大きな風台風で北海道全域の山林に甚大の被害を及ぼしたが、風台風であったために河川の氾濫や陸上交通の幹線・鉄道に大きな被害はなかった。
 
昭和56(1981)86日に台風12号、23日に台風15号の連続する2台風の集中豪雨の連続により、石狩川全流域に大水害が発生した。札幌都市圏も気象台創立以来の日雨量230mmの豪雨に見舞はれ、明治31年以来83年ぶりに石狩川流域の水田地帯に大水没地帯が出現した。その後北海道開発局はこの降雨と洪水を定規として、連続台風に備えるような石狩川の基本計画を策定し、洪水対策用のダム貯水池、河道掘削、堤防強化、内水氾濫対策としての水門・ポンプ所、遊水池の建設などが大規模に進められた結果、この後平成28年に至るまでの半世紀以上にわたり、北海道は大水害を免れてきた。
 
平成28(2016)8月に至って、北海道で克ってなかった、台風7(817)11(821)9(823)3つが連続して脊梁(日高)山脈南端を目指して太平洋から直接上陸し、十勝地方からオホーツク海に抜けた。3台風の総雨量は500mm以上であり、半径が北海道の半ばを覆う大きな雨台風であった。またその直後に、小笠原沖を迷走していた台風10号が東北の太平洋沿岸(三陸)を襲いそのあと3日間にわたって500mmを超える巨大な量の雨を降らす温帯性低気圧となって渡島半島付近に停滞します。先の3雨台風の連続で極限にまで達していた北海道の全流域の土壌含水率をダメ押し的に高め、急斜面崩壊が全道の各路線・集落で頻発し、上流小河川やオーツク海と太平洋にそそぐ中小河川が氾濫し、それらを横断する多くの海岸国道、JRの線路や橋梁をずたずたに流亡させてしまった。北見・網走・稚内・釧路への鉄道、国道は不通となり、かろうじて札幌-旭川のJRと国道・高速道路と、札幌・釧路(阿寒)への新しい高速道路のみがかろうじて交通を支えている状態になり、9月を迎えます。札幌周辺のみが雨台風被害から免れた状況です。
 
7号による被害は816日から17日にかけてであり、1時間雨量40-45mmによる強度の雨で、石狩川水系千歳川、十勝川などで内水氾濫の危険がありましたがダム群の調整で対処できました。しかしながら、821(11)23(9)が時間をおかずに同じような経路で続いて北海道に上陸してくると状況は変わります。
 
昭和56年台風による石狩川の明治31年以来の大水害を教訓に、北海道の全域に造り続けられた洪水調整ダム群の機能をフルに発揮することと、たゆむことなく続けられてきた捷水路建設、河道掘削、遊水地と分水路の整備などの成果によって、石狩川深川市納内地区と常呂川で逸水による洪水被害が出たほか、金山ダム直下流の南富良野市街中心部が空知川の溢水に見舞われてしまいましたが、昭和56年洪水のような決定的な河川本流の破堤は局限されました。しかしながら、努力は「7119号の3連続台風+迷走台風10号崩れの温帯性低気圧」の居座りすべてを処置するには十分でありませんでした。しかも、雨量が日本で一番少ない道東畑作地帯は農業用排水路網も全くない地帯に、1台風150-200mmの雨が3度間をおかずに来た後に、迷走台風10号の成れの果ての温帯低気圧が居座った結果がこの度の大水害・山崩れです。東は知床羅臼の国道崩壊孤立集落から、北海道の中央山地・脊梁山脈沿いの日勝峠・狩勝峠・石北峠の国道閉鎖、日高太平洋沿岸、オホーツク沿岸、根釧原野、天北・利尻礼文、層雲峡の石狩川、石狩川支流河川などが軒並みに被害を受けました。
 
実りの秋に掘り出した玉ねぎが常呂川の洪水で見るも無残に浮かんでしまいました。玉ねぎ列車を季節運航するJR貨物も石北線の不通と国道もずたずたで、本州のように道路網が多重になっていない北海道の大量輸送の弱点露呈です。また、海岸沿いの普段は水量があまり多くない中小河川が多数溢水し、旧河道に戻ろうと蛇行をしたりして橋台や橋脚を流して橋が沢山被害を受けたのが、小規模のがけ崩れ・土石流による国道被害と並んで気になります。
 
917日現在の被害状況(北海道調べ)は、死者・行方不明:4名、国道・道道:123区間通行止め、鉄道:特急36普通89運休、電気:一部市町村で停電、水道:新得・清水・日高・中標津町の一部で断水、農業被害:12,310ha/2514(本州の1県分より大きい)、水産被害:1,166件、商業被害:340、住宅等被害:全壊12、半壊と一部損壊529、床上浸水:226、床下浸水:352と報じています。
 
このような連続台風が大きなエネルギーを持ったまま北海道に連続的に上陸するに至った理由として、本州沖の太平洋の海水温が高く、台風が減衰せずに北海道まで来たという事の様で、地球温暖化の進行でこれからも再度ありうることが心配されています。ラニーニャ現象によるとも言われていますが、明治31年、昭和29年、昭和56年の北海道にとって歴史を画した大台風群の発現がどうであったかなど歴史気象学・水文学的な理解の進化が望まれます。

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プロフィール
HN:
丹保憲仁
年齢:
91
性別:
男性
誕生日:
1933/03/10
趣味:
カメラ
自己紹介:
・主な経歴
 水の安全保障戦略機構議長
 日本水フォーラム副会長
 北海道大学名誉教授(第15代総長)
 放送大学名誉教授(第5代学長)
 第89代土木学会会長
 第2代国際水協会会長
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