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一般財団法人北海道河川財団会長 北海道大学名誉教授(15代総長・放送大学名誉教授(5代学長))
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 (スタッフより)

インタビューをご紹介します。
 



2007年3月3日
かがく探検隊CoSTEP ラジオ第71回
研究室に行ってみよう 「水」はとても大切なもの

CoSTEP活動レポートのページ
へのリンク
リンク先ページ上部でダウンロード(Podcast又はMP3)して、放送を聴くことができます。

インタビュー
前半 14分11秒~19分22秒(5分11秒)
後半 20分03秒~24分44秒(4分41秒)

(前半発言要旨)

先生にとって面白いと思われた研究は何ですか

・「科学」というのは、「何か面白いことがあってやるという科学」と、「どうしてもしなければならないことがあってやる科学」の2つがあります。科学と言っていいか分かりませんが。僕は後者の方ですね。何かをしたくて学問をしたことは1回もないです。「しなければならないこと」がごろごろと転がっていて、分からないから仕方なくやったのです。それは、物理学、天文学、考古学をやる人との違いだと思います。子どもたちにとって「何かがしたくて何かをする」ということも大事ですけれども、世の中、しなければならないことがあったから必死になってやっているうちにその道の専門家になるということがあるわけです。僕はそうでした。

・「ああ、やったな」と思うことはあります。ただ、それは「やった」と思うだけで、次の問題がドロドロ出てきて、「これは大変だ」となる訳です。そうこうしているうちに75歳になってました。まだ、「大変だ」と思っています。

 

今まで必死にやってきたことが、水環境をよくすることにつながっていたということですね

・僕は32、33歳の頃から研究室の責任者だったから、自分のための研究というのはしたことがないのですよ。僕のチームがちゃんと働くような仕事を選んできたのです。古典的な浄水の急速濾過システムのイロハから始まって、最後の「ん」まで、ピリオドを打つまで、全部、僕の研究室で、1ブロックの仕事が出来上がったのです。
このシステムは、世界中で使っている水道のシステムの研究で、何も新しいことではないのです。それをきちんと解き明かして、原理まで、同じ正確さでつないだという研究を、僕の研究室では約20年やってきました。僕の頭の中で考えてきたことがきちっとまとまったということが、多分、僕の研究の中で一番大きな仕事だったと思う。

水の研究を始めたきっかけは何ですか

・僕が水の研究を始めたとき、日本は電力も少なかった。火力発電所などがない、水力発電の時代ですから。ダムで電気を起そうという戦後の復興期です。僕の卒業論文は、ダムの水なのです。

・子どもの時、僕は天北原野、稚内のすぐ南で育ちました。そこには、「白い水」はないのです。泥炭地の水で茶色い、にしめたような水だったのです。風呂に入ったら、へそは見えません。飲み水は、列車が1日に2回だけ運んでくる。僕の父は校長先生でしたが、学校に大きな缶をかついで行くと、タンク車から水をくれるのです。日に2回、水を汲んでくるのが、唯一飲める水、白い水だったのです。そういうところで育ちましたので、僕は。昔、夕張の子どもが、石炭のために「川は黒い」と思っていたように、僕は「水は茶色」と思っていたのです。それが結局、自分の一生の仕事になったのです。

・もっとはっきり格好良く言えば、1992年、国連宣言ダブリン・アコード(協定)で、「世界中の人にもれなく1日1人50リットルのきれいな水を配りたい」と言った。京都アコードは温暖化でよく知られるけれど、ダブリン・アコードは知られていません。ダブリン・アコードで「50リットルの水を配りたい」と思ったことが、多分、僕の一生での、僕を動かす駆動力です。東南アジアや中国の奥地などをずっと走り回って、その仕事を一生してきました。



(後半発言要旨)

先生は、ダブリン・アコード以前から各国で活動されていました

・僕のチームで、1970年にJICAができる前に、インドネシアで3年仕事をしました。76年、アジア工科大学(タイ)の環境工学のスタートをやりました。文化大革命の終わった3年あとの83年に僕は中国にずっといて、中国の人たちのトレーニングをしました。

・「日本でいい水が飲めるけれど、それだけではまずいじゃないか」って思いますよね。それを皆、僕のスタッフはやりました。でも、日本のことすらできない人たちが、外国に行って偉そうなことを言ってもだめなのです。水道、下水道は、日本など特定の条件のもとでしか成り立たない技術なのです。日本の技術を持っていって、インドネシアで下水道をつくろうとしても、できっこないのです。中国は、それをやろうとして、ものすごいエネルギーを使いまくって、水まで無くなったのです。そういうことを、自分の頭の中で考えなければならないのです。


・ダブリン・アコードは正しいのです。でもそれを、どういう形でやるかという、技術屋としての、科学者としての判断というのは全然違うのです。それは、インドネシアに住み込まなければだめです。

・井戸を掘ってきれいな水を飲ませてあげたいと思って、みんなバングラディシュに井戸を掘りまくった結果、出てきたのはヒ素だった。今、それをどうしようかということで、うちのメンバーもよくバングラディシュに行っている。自分で作った問題を、自分で解く-人間は本当に阿保なもので、良かれと思ってやったことが、全部、次の連中の負荷になってしまうのです。ですから、50リットルの水を配るということは易しいことではないのです。一生懸命、やらなくてはいけないのですよ。

緊急な問題は何ですか

・日本は、食べ物の60%を輸入しています。北海道ではたくさんつくっていますが、日本では4割しかつくっていない。エネルギーの96%は輸入しているのです。ですから、それが止まったら、すぐに死んでしまうのです。水はたくさんあるように思われますけれども、6割輸入ということは、よその国から、日本がつくった水よりももっとたくさん輸入しているわけです。

・日本では農作物をつくるために、農業用水というものを使うわけです。それが600億トン/年です。外国から牛肉、小麦粉、とうもろこしを輸入する、たくさん輸入するでしょう。これらをつくるために、アメリカでは、多分450億トン/年くらい、オーストラリアからは、100億トン/年くらいの水を使っています。水がなくて大渇水になって、からからに干上がったオーストラリアから、毎年、100億トンの水を日本がもらっていることになりますよね。

・いくらでも大事に使える水ですが、水がないからと言って、海水淡水化をして、エネルギーを使って、太陽の真似をして水をつくる。そういう技術はありますよ。「それを使うか使わないか」という問題なのです。ものすごいエネルギーを使うわけですから。
 

将来、研究者を目指す人にメッセージを

・水のことをもしおやりになるのであれば、水のことをしっかり勉強してくださいね。そして、「水というのは〇〇です」ではなくて、水を使っているものにはどういうものがあるかを知り、水を使って自分で何かをやってみてくださいね。昔は、お百姓さんがやっていたんですよね。できなかったら、水を使ってお掃除してご覧なさい。便所の掃除をちゃんとするにはどんな水が要るか、その水を汚くしないで捨てるにはどうしたらいいかということを、本当のことを、ずっとやらなくてはいけないのです。

 

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プロフィール
HN:
丹保憲仁
年齢:
91
性別:
男性
誕生日:
1933/03/10
趣味:
カメラ
自己紹介:
・主な経歴
 水の安全保障戦略機構議長
 日本水フォーラム副会長
 北海道大学名誉教授(第15代総長)
 放送大学名誉教授(第5代学長)
 第89代土木学会会長
 第2代国際水協会会長
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