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地方独立行政法人 北海道立総合研究機構理事長のつぶやき
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2018年(平成30年)3



 



3月末日を以て北海道立総合研究機構理事長職を去ります。



ありがとうございました



 



丹保憲仁



002-0852 札幌市北区屯田24丁目10-33



 



1957年(昭和32年)4月北海道大学工学部衛生工学科創設メンバーの一人として講師に採用されてから60年間フルタイムの仕事を続けて今日に至りました。



北海道大学工学部衛生工学科の講師、助教授、教授として1995年までの38年間を環境水工学の研究に丹保研の職員・学生と一所懸命に働いて日本の戦後の環境整備に努めました。多くの卒業生を日本の環境工学分野の核として送り出すことが出来ました。



1991年から学生部長(2年)、1993年から工学部長(2年)を務め、北大の学生紛争の終結、大学院重点化(工学部л型複専修プログラム)の仕事をまとめることが出来ました。



1995年から26年北海道大学総長を務め、全学共通カリキュラムの展開、大学院全課程の重点化完成、北キャンパスの研究機構への展開、サクシュコトニ川の再生、18条アンダーパスの開通、平成ポプラ並木の植樹、新渡戸先生像の建立など21世紀末に向けて北海道大学の教学・学園の環境整備を始めることが出来ました。



2001年から26年放送大学長として千葉県幕張を拠点として、北海道大学では望んでもできなかった、生涯教育、遠隔教育の仕事を日本全国にわたって広げることに尽力できました。北海道大学、琉球大学を皮切りに全国54の拠点センターを各地の主要大学等と組んで展開することが出来たのと、新しい衛星放送を核とする新システムを含む日本最大の通信教育システムを創り始めることが出来ました。世界とアジアの通信教育大学連盟の常任理事として、多くの国の専門家と一緒に仕事が出来ました。



幕張という東京に近接し、成田空港に近く諸外国との行き来も容易な位置に6年間務めることのできた間に、北海道ではなかなかできなかった、大学設置審議会会長、大学基準協会会長、国立大学評価委員会委員長、国土審議会委員(首都圏部会長、北海道部会長)、学術会議会員(2期)を務め、土木学会の89代会長を務め、国際水協会の副会長2期、会長(第2代)をロンドンベースの事務局機構とも容易に行き来して務めることが出来ました。



多くの諸外国の大学、学協会から名誉博士、名誉教授、名誉会員などにも推挙していただきました。



放送大学長を終えて、北海道に帰って来てから3年間北海道開拓記念館長として、郷土の歴史、文化を学ぶ機会をいただきました。2010年に北海道開拓使以来の歴史ある22の道立の研究所群を統合して北海道立総合研究機構を創設することに参画させていただき、今日まで理事長2任期8年を働かせていただきました。農業、水産業、林業などについては全くの素人であった小生に多くの所員が様々に知識と経験を伝授してくれて、1次産業を大きく基盤とする北海道の未来のために何をなすべきかを学ばせてくれました。



2009年には瑞宝大綬章を天皇陛下からいただき、2010年には北海道功労賞、国際水協会会長大賞(Presidential award for Global vision)などを国内外からいただきました。



今年85歳になり、積み重ねた経験以外に新たな飛躍的展開を図ることが、知的にも体力的にも限界に近いことを感ずるこの頃です。経験と知識だけを売り物にしてもリーダーは務まりません。通常の方の定年の後から20年余も働き続ける場を頂き、自身の勝手な感覚ながら、仲間に助けられて日々努力することが出来、後期高齢者になってからの10年も若いころに近い程度に頭と体を働かせることが出来ました。この年(85歳の末期高齢者)になって、伸び代が知れたものになってきたことを自覚する日々です。次の世代にバトンを渡す期です。ご支援いただいた皆様に感謝申し上げて、老兵は静かに自分の領域(水工学)に戻っていきたいと思っています。昔の丹保研の大学院生・助手(後の北海道環境衛生部長・公営企業管理者)の小笠原紘一さんに手伝ってもらって、老・小老ペアーで、小生の狭い専門である『水処理工学の基礎(上・下巻)』(1200ページ)、と若いころから書き溜めてきた『近代の終焉:大変革の21世紀』(200ページ)の本をまとめることが出来、心安らかに現役を去ります。



本当に何のとりえのないただの凡人を諸機構の中枢で60年間働かせていただきました。ご支援、ご教授いただいた皆々様に心から御礼を申し上げます。



 


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 明けましておめでとうございます。今年も様々なことが、国内外で起こりそうな予感のする年です。自分の立ち位置をしっかりと定めて、右顧左眄することなく生きて行きたいと望む年の初めです。
 
2016(平成28)は、身近なところでは3つの連続台風の北海道への上陸し、迷走10号台風のなれの果ての停滞を加えて、連続4台風による、全道一円の大水害に見舞われ、農地・集落・交通網が大被害を受け北海道の基盤システムの基本を見直すべき警告を自然・社会構造両面から受けました。今年はそのことを、じっくりと検証して開道150年の基とする必要があります。
 
世界的に見ても、ポピリズムの蔓延とミーイズムの無反省の下で、公共の概念がどこまでも曖昧になってきて、ポリテカルコレクトネスの拡大が都合のいいように、左右様々な陣営の行動の賛否(Pro & Con)にまで使われ、社会的な慎みと支え合いを傷つけてきたように思います。
 
我々の道立総合研究機構も平成22年の創立から8年目を迎える年となりました。それまでの道立の22の研究機関は、縦割りに個々の分野では確りと働いてきましたが、21世紀のシステム科学・技術の時代に対応して北海道を支えるにはあまりにも狭視野であったように思います。
 
北海道も日本も縦割りをよしとして居たわけではなく、総合的に見ようとして努力を重ねていたと思います。結果として、システム評価が不十分なまま、総体的な数値目標、結論としてどれだけ収益が上がるかといった金の多寡に、すべての評価が意識・無意識にかかわらず委ねられてしまったように思われます。しかも評価を、分野別、地域別、組織別にやれることから始めた結果、総合的に守るべきものに対応策を講じきれず、トカゲのしっぽ切り型の判断さえあり得ました。一方では、総合的評価が出来ぬまま相補・補完的システムの整備さえもが個別に進められ、結果として総合的にしかありえない集落民・都市民の日常について「手足ばらばら」を感じるに至る事さえ起こります。
 
道総研の今年は、21世紀の後半に訪れるであろう、鉱物資源エネルギー枯渇(石油・天然ガス・石炭・U235など)による近代300余年の文明駆動の基本エネルギーの根本的枯渇に対処して、再生可能エネルギーを基準とした様々な産業・集落・日常生活の設計の基本となるシステム研究を一丸となって始めなければならないと思います。政治も行政もその準備を10~20年かけて始めて呉れてはいません。道民の税金を頂く公設試と心ある大学人が今動かなければ、長い準備が必要な次の文明への接近に間に合いません。
 
進歩・成長を神とあがめ、ひたすらマネタリー基準で駆動してきた近代は、この後半世紀で、環境資源・鉱物エネルギーの大量使用が出来ずに急速に終焉するでしょう。次の文明がどのようなものであるかを、84年生きてきた老人域の小生でも、近代人としての経験しかありませんからしかとはわかりません。幼少のころの、物・エネルギーの乏しかった経験が少々思い出される程度です。人と人、人と自然が共生して平和に暮らす近代の次の文明の価値がどのようなものであるかを想像してみるほかはありません。デカルト・ニュートン・アインシュタインに始まる近代科学のツールしか対応のための道具はないようです。生命と自然をつなぐ新しい文明的価値を、近代までに人類が積み上げてきた自然科学の基礎の上にどう創っていくが、研究者としてまた学ぶ人として必須の、次の時代へのシステム思考であろうかと思います。「価値の創造が価値」である時代が来るでしょうか。
 
道総研の研究者は、今までやってきた仕事が未来の創造に何ほどの価値があるかの評価を試みてみてください。「点検は自分でするもので評価は他人が下すものだ」と常々申してきましたから、評価を考えた自己点検をしてください。
 
がんじがらめに組み合わされた行政の日々の運びを変えるのはすごく大変なことのように思われます。研究者はそれとは違います。新しい地平を切り開くための仕事を始めてみませんか。それは何を目指すかによって、選ぶべき課題は全く違ってくるはずです。日常の相当のものを思い切って止めなければ、成果予測の不確かさのある新しい時代を開く研究課題に向かっての研究者の脱皮は進みません。現在の課題が、未来の社会にふさわしいものであれば、さらに仲間を増やし、広領域化・複合システム化を進めてください。
 
世界は広く、70億人の世界に住むホモサピエンスのうちの僅か1億人だけが日本人です。日本人以外の知恵・努力に学ばずに閉じた思考と経験のみを足掛かりとしただけでは、22世紀を望むには不十分です。今の小学生が小生の年まで生きれば22世紀です。近代社会はとっくに終焉しているはずです。生半可の歴史観・世界観ではこの難しい時代の転換期の先導的研究者は務まりません。道総研の最大の弱点は国際化にほとんど対応できていないことです。インバウンドの観光客を何百万にしたいということも善いですが、北海道の基本的な産業・社会構造・知的水準がどこまで国際化に耐えるかが問われています。行き過ぎたグローバリズムは近代の次の時代には、地域の文明を基盤に据えた上での広域ネットワークという、特徴ある地域価値を重視した地球文明に成熟していくようにお思います。建前は別として、人は地球の果てまで隣と同じように熟知し汗を流せません。足元からしっかりと地域・地域に立つことの複合で、アフリカ・中近東の紛争も収まっていくでしょう。
 
逆説的ですが、難しい時代、ひどい時代が次の文明の足掛かりになるように思います。研究者は視点を上げて、するべき事(しない事)を定めることに、知性と研鑽を費やしていきたいと思います。研究所の主幹・部長・所長さんのような経験豊かな研究リーダーの奮起と塾考をお願いしたい思いです。

 


 昭和8年(1933年)3月生まれの酉年で、7回目の年男だそうである。2回目は昭和32年大学院を出て北大講師になった。3回目は昭和44年北大衛生工学科上水工学講座教授になった年で、大学紛争が始まる。吉と最悪の両懸りの年。5回目は平成5年工学部長として大学院重点化に骨身を削る。6回目は平成17年放送大学長で幕張に働く。6年間の北海道大学総長の激務を終えて、生まれて初めて札幌を離れ、家内と犬との自由な暮らしを6年間楽しむ。7回目の今年はまだ、北海道立総合研究機構の理事長を卒業しきれずに、傘下の1150人の所員を統括する仕事で道内を飛び回っている。老害にならぬよう自戒し、引退を考えている。「90歳で何がめでたい(佐藤愛子著)」に同感の心境です。
 今年は、私の83年の人生の中でいくつかの大きな出来事のあった年の一つである。
 
宗谷の田舎から出てきて、札幌師範の付属小学校の1年生となり、以後今日まで77年間札幌の住人となった。最初の年、昭和14年は今年の様な大雪の年であった。昭和16128日の太平洋戦争の始まった年、昭和208月の敗戦、昭和37年のフロリダ大学留学とキューバ危機、そして淡々たる日本の高度成長と閉塞の後に、ついに来た転換点かと思われる年が、今年の平成28年である。まだ、道立総合研究所の理事長として、北海道の将来に責任を感じる立場にいる。
 
立て続けの世界各地のテロの頻発と、大量の難民の発生と異なる宗教間争いの問題、英国のEU離脱、トランプ米新大統領の出現、中国海軍の列島線への進出、ロシヤの居直り。前の三つは近代の終焉を告げる兆候と思われますが、後二者は近代化をしそこなった国が遅れてやってきて、近代文明にとどめを刺すことになるのではないかと心配です。1930年代後半の後進の近代化国、大日本帝国の往時のメンタリテーや軍主導の強権的中枢機構の挙動を彷彿させます。
 
北海道も新幹線を喜んだと同時に、地域の幹線路線・生活路線が成立しなくなる愚を招きました。リニア―東海道は論外としても、子供のころから当たり前であった様々な事柄が、すべて変わってくる。短小軽薄な社会の仕組み。幼稚化した公共放送。我慢の無くなった、親子・生徒・学生。すべての社会実装が基本的な連携ネットワークを欠いたまま、政争、論評、時には無責任な批判の種にさえなり、それがSNSでもっともらしく広がる。
 
3つの台風が北海道に立てつづけに上陸し、迷走台風10号が後を追い道南に停滞して明治31年以来の大水害を田畑と町にもたらした。昭和56年の連続2台風を定規として議論を重ねて作り上げた石狩川の基本計画で、本流は何とか守られたが支流や他の地域の河川はずたずたにされた。小生が委員長を務めた石狩川流域委員会を経て開発局が策定した連続台風への対応への限界を超えた4台風連続であり、国管理の河川と道・地方自治体管理の河川の接続不良も顕在化した。近代河川管理システムの盲点である。
 
近代システムが音を立てて崩れていくように思える。日本近代化の後半の80年を国の内外で働いてきた小生が改めて思うことは「近代の終焉」がいよいよ始まったという感慨である。

 1997年ごろ、北海道開発庁次官加藤明氏と北海道大学総長丹保憲仁の間で、エルムトンネルで北大を東西に抜けることを了解したのと、寿命の尽きた北大ポプラ並木を防風林が本来あるべき東西方向にポプラを並べて旧ポプラ並木のクローンを農学部造林講座の五十嵐恒夫教授に作ってもらって、堂垣内元知事と共に北大120周年記念に植樹した平成ポプラ並木の植樹を行いました。
 
さらに、札幌扇状地の水と緑の復活に創成川経由毎秒0.3m3の水利権を確保することを計画し水利権を獲得しました。0.1m3/secはおそらく安春川の環境用水として使われたと思はれます。残る0.2m3/secの内0.1m3/secは北海道大学内を流れるサクシュコトニ川から新川への流れの再生に使うことが予定されていました。創成川から、植物園に水を送りメムラインの回復を果たし、旧伊藤邸宅のメムを経由し、日本最初の鮭ますふ化事業を営んだ精華亭の池に入り、北大のサクシュコトニ川の源頭に至ります。
  小生が北大総長時代に半ば再現したサクシュコトニ川は、札幌市水道局の好意と札幌市に勤める北大OG//OBの努力によって札幌市藻岩浄水場の急速ろ過池洗浄排水の清浄水を植物園前でつないで北大構内まで導き、サクシュコトニ川が辛くも再生したもので、本来は0.1m3/secの水を緑の豊平川扇状地復活計画の中で考えようとしたものです。恵迪寮裏の原始林を雪解けには溢水空間とし、水芭蕉・よしを再生し、ヨシキリを引き寄せ郭公がなく森にまで戻すのに半世紀が要るのでしょうか。小生が北大生であった1950年代のサクシュコトニ川と郭公の森が札幌に戻ってほしいと思うものです。
 
開拓使が豊平川扇状地を道都に選定した功績の再現が、固い地盤と豊かなメムを育む地下水露頭などであり、開道150年の文化遺産として目に見える形で22世紀まで道民に残したいものです。

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プロフィール
HN:
丹保憲仁
年齢:
85
性別:
男性
誕生日:
1933/03/10
趣味:
カメラ
自己紹介:
・主な経歴
 水の安全保障戦略機構議長
 日本水フォーラム副会長
 北海道大学名誉教授(第15代総長)
 放送大学名誉教授(第5代学長)
 第89代土木学会会長
 第2代国際水協会会長
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