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一般財団法人北海道河川財団会長 北海道大学名誉教授(15代総長・放送大学名誉教授(5代学長))
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道総研理事長 工学博士 丹保憲仁(たんぼのりひと、TAMBO, Norihito


北海道庁の各部に所属してそれぞれの分野での仕事に特化していた22の研究所を統合した総合研究機構が平成22年に発足して以来、道民のために力を合わせての仕事を進め、これまでの一期の5年をかけて一段ずつ着実に態勢を築いてきました。「少し広めに」「少し長い視点で」を合言葉に、1,150余人の所員は、お互いを知り、助け合って「総合研究機構」の文化を作り進めてくれた事を喜んでいます。


地方独立行政法人の一期は5年となっています。第一期はあと3か月を残すのみになりました。5年間の経験を土台に次の25年をどのように迎えるかを、10年先の三期までをにらんで、道総研本部と6研究本部の皆さんが連携して一年以上の月日をかけて議論し、「道総研における研究開発の基本構想」としてまとめてくれました。北海道の研究者自身が自分たちの向かう方向を総合的に描いて公にすることは、おそらく開道100年以来の画期的なことと思います。


 これから問題に対処していく際に、長期・中期・短期に分けて事柄を見ていくことが大切であると思います。46億年の地球の歴史、19万年のホモサピエンスの歴史がおそらく我々が考える一番長い時間スケールかと思います。原子力発電の可否の議論の際にも40年の軽水炉型原発の寿命と10万年の活断層のリスク議論の不整合、廃棄物保存の10万年の議論の扱いなど我々は時間スケールを極端にちがえた事柄を考えなければ日々を暮せない処に居ます。リスクという概念一つをとっても、どのように考えるかの仕切りは容易ではありません。私は日本の環境工学系の最初の学科を作った一人ですが、公害問題が激化した時代の環境の質、例えば河川水質は不純物が少なければ少ないほど良いとして水質制御が行われてきました。特に蓄積性の微量汚染物質が問題になってきた1980年代以降は、規制基準値は限りなく小さな値をとり、環境を基準値以下にするという0側への不等号的な操作が常識となってきました。しかしながら、赤潮・青潮の発生で困難を極めた瀬戸内海や閉鎖型の内湾のリン・窒素などの値が陸域の廃水処理の完備で小さくなり、その結果水域の栄養塩の不足によってノリや魚の漁獲量が低下してしまって、しかるべき値にまで戻す必要がありそうだという議論まで始まっています。複雑な自然生態系をある状態に保ち続ける事は、人びと(産業)の要求を、触らないことを何とか達成しようと考えてきた環境保全の古典的考え方とは異なるものです。生態系の管理などといっても、資源をとりすぎないように、或いは増えすぎないようにする、獲物の個体数管理を考えることで精いっぱいです。


いま世界の人口は70億人なろうとしています。しかも人類始まって以来の最も速いスピードで増加し続けています。1700年代中葉ころ、化石燃料を使うことを覚えて、近代文明が本格的に動き出して僅か300年弱のことです。頼りの化石燃料も原子力用のU235もあと100年もつかどうかは怪しく、地球はこの先どれほどまでの人類を養えるのかが大問題になります。カナダのリースとワケナーゲルの提唱したエコロジカルフットプリントといった直截的な環境容量(動的概念が含まれていないのが残念ですが)の推定値からみて、私は60億人ぐらいが、現代水準の生活をして、四海波静かに生きていくのにやっとの数字ではないかと考えています。日本人は12700万人にまで増えましたが、これから急速に人口を減らします。明治維新までに三つの島で200年にわたる営々たる努力の末に、自然エネルギーで暮らせたのが3千万人であり、その後加わった北海道に科学技術の進歩が加算しても、5千万人位がこの島で無理なく自然に暮らせる数値ではないかと思います。モネ船長のノーチラス号のような世界が広く広がってくるともう少し大きな数字が期待できるでしょう。世界も同じことで、100億人を超えた地球は無理でしょう。


グローバル化の果てに世界が平均化してくると、地球はいずれ総人口を減らさねばならない局面に突入するでしょう。わが日本はたった150年で西欧を追って近代文明の先端まで来て、人口一億人超の大人口で、世界屈指の経済大国となり、やがて近代文明発祥の地西ヨーロッパと並んで成熟過程にはいり、高人口密度と過少資源の故に成熟から縮小過程にまで入ってしまい、近代文明の遷移過程の最先端に位置してしまいました。縄文時代以来2千年余中華文明圏の周辺にいて、英国がヨーロッパ文明圏の周辺にいながら近代のデファクトスタンダードを作り200年世界をリードしたように、7世紀初頭頃から日本は独自性を少しずつ主張しつづけ、18世紀にはアジアでは西欧近代文明にいち早く身ぐるみ飛び込んで近代化を成し遂げ、ついには近代産業社会の成熟と減速を世界最初に経験する大国になりました。日本人は縄文時代以来、初めて世界史の先端に来てしまいました。自覚するか否かを考えているゆとりはないようです。近代の次の文明の創成者となって21世紀後の世界のデファクトスタンダードを、18世紀のイギリスが近代のために造ったようにできるかどうかが問われています。隣に中華大文明圏の夢の再現を語る大国がありますが、この国も21世紀後半に至るやすぐに近代の卒業と人口・活動度の急減少を伴う成熟過程を踏むことになるでしょう。英国が1800年代にヨーロッパ文明に続いてアメリカ文明に及ぼしたような近代化の先駆的挙動を、日本が21世紀後半に中華大文明圏の成熟に影響を及ぼすことが出来れば、日本人は21世紀後のアジアと世界のポスト近代の先駆的文明形成者として、価値ある民族としての尊敬を得つつ平和に生きていけると思います。日本人の正念場です。


そのために日本人は世界に先駆けて、困難な近代文明社会からの撤退作戦を、日々の活力を失わずに進めなければなりません。糧食・弾薬尽きて多くの餓死者を出して退却したガダルカナル戦の様な事を繰り返すわけにはいきません。力を溜めつつ、戦いつつ次の交戦ラインにまでひかねばなりません。その際に最後にどうするかの算用なしでは、本土決戦一億玉砕になり、沖縄戦の惨禍の繰り返しになります。幸いなことに、先発縮小国の日本はまだ周辺に成長を是とし、使い慣れた近代の生産・消費システムの拡大をよしとするBRICs諸国があります。暫時は、生産拠点と市場をこれらの国におかせてもらって、成熟領域の日本国はパラサイト的に活動度を維持していくことになるでしょう。今言われている、グローバル化の一面です。然し中国などの発展途上国は、この世紀の半ば以後に至り、近代の飽和と続いての縮小局面に入った時に、いま日本が生産拠点と消費マーケットのかなりの部分を依存している、近代成長を求めているBRICs(周辺)諸国はもうありません。途上国の成熟後の日々は日本の現在の状況をはるかに超えた困難と巨大な量を持ったものになると思います。日本が150年かけてたどり着いたところに100年足らずで到達するわけです。ヨーロッパは300年かかけて成熟社会になりました。 


近代の次に来る文明・社会構造の懐胎とそれに至る道筋を高い技術力・文明度のもとで、しっかりと戦力を維持しつつその変遷縮減を着実に進行させて行く過程の、時間設計が必要です。石油・天然ガス・U235100年とはもちません、CO2の排出量制御も待ったなしです。日本のポスト近代社会はこれから数十年かけて着実に自然再生エネルギー主体のエネルギーシステムに転換していかざるを得ません。果たして再生可能エネルギーでどれだけの人類を養えるのかまだ誰もきちんとした推算が出来ていません。人口減少まで頭に置いたエネルギー政策、食糧政策、水資源/流域管理といった国土政策が、地方の自立持続と国土の保全防衛を目標にした国家戦略として論じられなければならないと思います。全部足しても1にならない0.1政策5本を進めるような心細い政治では困ります。市民も、0.1は三つ四つ足しても1にならないことを知って政治のプロポザル(マニフェストなどと云われるもの)を評価するように賢くなってきたと思います。日本人は21世紀の次のポスト近代を自ら描いて創っていかなければ生き残れない国になったことを思い起こして、みんなで考え、勉強を続けることが必要と思っています。


これまでの近代社会は、活動中心と資源(生産)域が遠く離れても高速大量輸送システム発達で情報中心と資源域の間で相互に逆クロスする勾配を持って成立していました。資源の少ない日本がエネルギー、鉱物資源を数千キロの彼方から延々と運び、製品を世界中に送り込んでその差額で高い国民生活を挙げてきました。グローバル化が極限まで進み、世界が均一化してくると長距離大量輸送に軸足を置いた産業・社会構造は経済的にも輸送路の安全保障の維持のうえでも容易ではなくなります。イギリス帝国にはじまる近代の海の国々の先進国はパワーの持続的な維持に困難があります。パックスブリタニカ、パックスアメリカナが揺らいできた先進海洋国家群が、大陸国家中国、ロシアなどの新興国のチャレンジを受けてくるようになると思います。大陸国家はドイツ帝国が大英帝国に敗れたように、歴史的な海洋国家群に太刀打ちするのは容易でありませんでした。ゴルシコフ元帥のソ連海軍は今はなりをひそめています。歴史上空母機動部隊を運用できたのは米海軍と日本海軍の西太平洋での激闘だけです。中国に機動部隊がいつできるでしょうか。その部隊は何を戦略目標にするのでしょうか。日本自身は海洋覇権を西太平洋全域に維持する必要がなければ、大きな領海の資源利用を国家目標とする自立型の海洋国家の道を平和裏に求めることになるでしょう。2050年にエネルギー自立が可能になれば、シーレーンの保護に巨大な海軍力を持つ必要も少なくなります。中国海軍の戦略が西太平洋の覇権維持などという大国の夢で無いことを祈るのみです。石油の中東からの輸送とそのシーレーン保護のための巨大な海軍力維持のための努力と、原子力発電所保持のためのリスクなどなかなか比較できない問題も様々な判断の項目に含まれるでしょう。ホルムズ海峡の紛争下に掃海艇を派遣し戦に巻き込まれる危険と、一度装荷すれば数年は運転できる原子力発電所の長期エネルギー安定確保の可能性とその採用に伴う災害リスクとどちらをとるかの議論もありうるでしょう。高い油を焼いてCO2を増やし地球温暖化ガスを増すことを原子力でとどめようと鳩山政権が考えたのはこのあいだのことです。3.11で局面が変わったことはだれしも認めることですが、自然エネルギーにつなぐまでの安定エネルギー源としての原発の選択の可能性はいかなる条件下でもあり得ないのでしょうか。素人なりに、多面的なよく磨かれた議論を聞きたいものです。


再生可能エネルギーの開発は恒常的な電源として使おうとすれば、要素技術とシステム技術両面の体系的な練磨と連続的な投資が必要なものです。電気はエネルギーの媒体でありエネルギー問題には熱需要が大きな割合を占めています。3.11以降電気の話のみが新聞放送の世界で論じられているきらいがあります。地球人類は化石燃料なしでは10億人(18世紀)を越えられませんでした。地球にそそぐ177,000TWの太陽エネルギーに比べれば、現在にお近代文明を駆動している化石・原子力エネルギーはたった12TWの一万分の一以下にしかすぎません。バイオマスは150TWあります。殆どは熱帯雨林にあり畑にあるのは12~13TWにすぎず食料をゼロにして初めて現代社会のエネルギーをまかなえます。風、水流、波、地熱、可能ならマグマの熱利用などの自然エネルギーをどこまで安定に使えるか、壮大な科学技術の努力が必要です。そのためには教育と科学・技術の継続的な大展開と巨大な資金と事業を駆動するエネルギーの投入が必要です。しっぽを巻いて逃げるようなことではなく、力を溜めて全力で次の文明に立ち向かう、尖鋭なエリート集団と力のある実行部隊が必要です。地球にやさしいなどと云う「わかったようで実は何も言っていないような」情緒的な標語を越えた冷徹な人類生存のための取捨選択と、冷徹さを包み込む隣人への心配りが共に求められていると思います。

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北海道庁の各部に所属してそれぞれの分野での仕事に特化していた22の研究所を統合した総合研究機構が平成22年に発足して以来、道民のために力を合わせての仕事を進め、これまでの一期の4年をかけて一段ずつ着実に態勢を築いてきました。「少し広めに」「少し長い視点で」を合言葉に、1,100余人の所員は、お互いを知り、助け合って「総合研究機構」の文化を作り進めてくれた事を喜んでいます。


地方独立行政法人の一期は5年となっています。第一期はあと1年を残すのみになりました。4年間の経験を土台に次の10年をどのように迎えるかを、道総研本部と6研究本部の皆さんが連携して一年以上の月日をかけて議論し、「道総研における研究開発の基本構想」としてまとめてくれました。北海道の研究者自身が自分たちの向かう方向を総合的に描いて公にすることは、おそらく開道以来の画期的なことと思います。


 平成264月から、第一期の最後の年が始まります。道知事から道議会の承認を受けた第二期の中期目標が年内に示されると思います。それを受けて、道総研は年度内に中期計画を提出し、計画の許可を得て、平成27年度から、第二期の活動を始めることになります。  


第二期は、総合的に研究を進める能力を獲得してきた一期の成果を土台に、北海道が自立できる産業基盤を形成することを目標にして、総体として十分な意味を持つ仕事を厳選しながら力を結集することになるでしょう。世の中に無駄な努力はないと思いますが、その中で何を具体に事を行うかを、限りある人力と時間、資金と努力限界の制約下で冷徹に何を選び出すかが問われています。「基本構想」を立てることによって、集約された議論の上に先行きを見ることを始めましたが、構想を固定したものとせず、年々議論を加えてより価値ある活動を求めていきたいと思います。先人や自からが積み重ねてきた歴史を基礎に物事を進めることと、過去の慣性のうえに次の事柄を日常的に積み重ねることは違うと思います。その意味で、「道総研の基本構想(2014年)」は意味のあるマイルストーンであると思いますが、道はまだ先がずっとあるわけで、そこで止まっているわけにはいかないと思います。


 研究活動に意味のないものはありません。失敗すらも大きな財産です。努力した行為(input)には必ず成果(output)があります。第一期の仕事にたくさんの成果がありました。然し限定された時間と人で行う努力が、社会(北海道民)の必要の枢要な部分に確かに及んでいるかということの吟味が十分であったかどうか、二期目の研究課題の選定に当たってはさらなる努力の必要がありそうです。研究遂行にあたって、時間がない、金がない、道具がないというのは普通のことで、研究者にとって一番の困難は行う研究が本当に価値のあるものかどうかが解らないことにあると思います。研究者は、自分の行っていることが客観的(相対的)にどの程度の意味のあることかを知りつくしたうえで、研究を進めることは難しいのが普通です。だからと言って、簡単に成果の出るような研究ばかりでは、世の役にほとんど立たないことを研究者自身がすぐに悟ることになります。それ故に、研究課題をより適切なものとして設定することに事前にそそぐべき努力が重要です。研究に投入する人力、時間と資金に対して、なすべき研究を選び出す段階に投ずる努力が少なすぎると思うことがしばしばです。課題が適切に(絶対はあり得ませんが)設定されれば、成果は失敗であれ成功であれ価値を持つものになるでしょう。


研究所長、企画調整部長。研究部長、主幹などの科学・技術・社会経験を積んだ研究幹部の役割が重要になってきます。研究幹部が、何が出来るかという視点のみで研究をリードすると、その組織は年月を経ずして不能になってきます。何が必要で、その課題についてどのような成果が社会から求められていて、その達成にはどのような手順とどのような人と金の投入が必要かということが、研究開始に先立って研究リーダーとなる人々が考え切るべき課題です。またいつまでに何を目指すかという時間感覚も、自然相手の時間スケールの長い課題を持つことの多い我々の研究機構ではきわめて重要であり、一般の理解とはかえって逆のように思います。上位のリーダーほど、研究者としての長い蓄積に基づいた、総合的な判断と説得性のある指導力の発揮が期待されます。現代のような計測技術が日進月歩の時代、最先端の研究技術を持つ多くの若手が研究所で育ってくるはずです。何を学ぶか、また何を新たに学び加えるかを若手に示すためには、研究所幹部の日々の研鑽と総合的な新知見の獲得が重要であろうと思います。


詳細のことは措くとしても、21世紀の現代における科学技術展開の主体は、大小を問わず明確な目的を持ったシステムの構築にあると思います。要素技術の発見発明は1920世紀にその大方が成し遂げられました。科学技術のパラダイムとして個々の学問体系は20世紀までにおおかた構築されてきました。近代の高等教育機関の学部学科システムはそれを実用すべく造られた最も普編的な近代の縦割りの技術体系とその要素科学の習得手段です。現代にいたるまでこのシステムは問題をはらみながらも代替手段がうまく構成できず継続し、道総研のほとんど全部の研究者もその流れの上で基本的な個々のパラダイム訓練を受けて人となってきました。20世紀に人類が獲得した最大の科学概念は「システム」であり、20世紀までに獲得した人類の科学の基礎知識を21世紀の人類はシステム的に地球上にあまねく展開していくことに、活動の基軸を置くことになっているように思います。


我々の研究機構でも、パラダイムとして獲得された19~20世紀科学技術を、さらに上位の明確な目標に結合させて、過飽和に近づいている地球人類が過去にない環境条件(過飽和/大競合)の下でも静穏に暮らしていくため(Sustainableは最小限の目的と思います)に、適切なパラダイムの組み合わせの上に、具体的に活動していかねばならないと思います。活動最前線にいる中堅の研究者には、自らの持つパラダイムの複線化を直ちに心がけてほしいと思いますし、若手には学んだパラダイムを実用レベルで活用しその有用性と不十分性を実感してほしいと思います。研究リーダーには複数のパラダイムがどのように組み合わさってことが進行していくかを、新たに学び進めてほしいと思います。概論でもいいと思います、異なるパラダイムの学問を(学問分野と考えてもよい)、学部課程の入門レベルの基礎テキストに戻って学んでみてください。様々な分野の熟達の士が、もう一つか二つのパラダイムの初歩を学ぶことによって、その研究機構の未来への展開は望みに満ちたものになると思います。


道総研の第二期の展開を、研究リーダーの方々の括目した新学習の成果に求めたいものと期待しています。第一期では「少し広く」「少し長めに」「力を合わせて」をみんなで努力していただき、新生総合研究機構の姿がだんだんに固まってきました。第二期はリーダーシップ確立の展開を、研究指導者の率先的な新学習に求め、中堅がそれに続き研究の活動を誰が見ても自律的に展開できる組織であると、道民から信頼される様になりたいと思います。そのことによって、英気あふれた新人が道総研を目指して加入してきて、大学で習ったそれぞれのパラダイムを基礎に、さらに新たなパラダイムを獲得し、リーダーとして新時代を開くための活動を活発に進められる研究者となり、ついには複合パラダイムを持った重鎮に育って研究機構を運用していっていただけるように成るものと願っています。


小生もこのような夢を持って、老骨にムチ打って第2任期をお引き受けすることにいたしました。今81歳ですから、生きて働いていければ85歳までということになります。各研究所に優れたリーダーが次々と現れてくることを夢見ています。研究リーダーの皆さんと、マルチパラダイムリーダー、新時代のシステム創生者の出現に向けて一緒に努力したいものと思います。

 あけましておめでとうございます。
 旧年は、皆さんがそれぞれのところで、北海道のために知恵を絞り、汗を流して研究開発とその普及に尽力してくださったことに、お礼を申し上げます。
 
 今年は、道総研発足4年目を迎えており、第一期の成果をまとめ上げて次に備える年になると思います。発足に際して理事長に就任した折に、「少しでも広めに」「少し長めに」視野と努力を重ね、「皆で力を合わせて」総合的に物事を進めていきたいものとお願いしたことは、ずいぶんと進んだように思います。総合研究機構としての研究成果(Output)が活発に動き出したことをうれしく思っています。ありがとうございました。
 それでまた、次にお願いしたいことを重ねて申したく思います。それは、「その仕事は、人々(道民)の暮らしをどのくらい良く変えることに寄与したか」(社会に対するOutcome)「どのくらいという大きさは,あなたにとって、日々の人生をかけるに足るもので有りましたか」(貴方にたいするOutcome)を自問していただきたいということです。私は常日頃から、「努力は自分がするもの」「評価は他人が下すもの」と考えて、80年の人生の物心ついてからの60年を恐る恐る過ごしてきました。自己評価と自問自答は違います。特に研究のリーダーとなる人々には、その課題が社会と研究員とその家族にとって、研究者人生を費やす価値のあるものかどうかを、厳しく自問自答して仕事を進めていただきたいと思います。そのうえで評価を受けることになります。ずいぶんと、乱暴な評価があることも残念に思うことの一つですが、自問自答の上での「恐る恐る」あるいは「思い切っての飛び出し」は研究者にとってのジャンプ台のカンテと踏切台での基本動作であろうと思います。第2期に向かって、OUTCOMEを意識し重視する研究に全研究所が向かってほしいと念願しています。

 今年も、あわてず、一歩一歩仕事を積み重ねて行きたいと思います。研究者にとって一番恐ろしいことは、能力のないことでも、金のないことでも、時間のないことでもなく、今研究している課題が本当に研究するに足る課題かどうかわからないことであろうと思います。それでも何を研究するか(課題)を決めることが研究の最大の課題であることを常に念頭に置いて、日々勉強をする必要があります。特に中堅以上の研究者の最大の義務でしょう。

 今年も元気に、急がず、休まず、肩の力を抜いて、よいしょ、よいしょ、とやりましょう。
 平成25年(2013年)の仕事も今日で終わりになります。道総研4年目の大事な年を、みなさんが力を合わせて、道民の今日から未来の日々に向かって役に立ち続けるための科学技術の研究/開発/普及のための努力をして頂きました。22の研究所が並列していた時代を超えて、総合的/立体的に様々な仕事が動き出したことを心強く感じています。個々の研究の課題を自ら努力して選び出し、仲間と力を合わせて遂行していくことを日ごろから行なうという、価値基準を常に念頭に置いて研究のアウトプットが多くの研究所でできるようになりました。総合研究機構進化の第一段階が進んだと実感しています。ご努力有難うございました。

 来る年は、研究成果が社会にどのように受け入れられ、北海道がどのように文明度を上げていくかを考える、戦略的思考・アウトカムをいつも意識の中において仕事を進める実力ある総合研究機構の第二段階を目指したいものと思います。

 お正月休みをしっかりと休んで、次に備えてください。生物を扱い休暇を取りがたい現場の皆さんのご苦労を感謝します。
おはようございます。
今日は、皆さん、大変おめでとうございます。
良い日になりました。この表彰式にご参加いただきましてありがとうございます。
また、高井副知事にお越しいただきまして、後ほどお話をいただきたいと思います。ありがとうございました。

ただ今、選考過程のご説明をいたしましたけれども、三つのグル-プ、知事表彰をいただくグル-プと、それから理事長表彰を二つのグル-プが受賞するということで、良い仕事をしていただきました。
また、30年間お仕事をしていただきまして、今日まで長いような短い時間だったのだろうと思いますけれども、ご苦労様でございました。まだまだこれからも頑張っていただこうと思っております。よろしくどうぞ。

いただきました色々な資料で勉強いたしますと、今日表彰を受けることになった知事表彰でございますが、「ス-ツ」といっても背中にくっつけるプラスチックの仕掛けでございます。最近、ハンディキャップのある人、お年を召した方が働かなければならないということもありまして、ロボットを含む色々な研究がされておりますが、その一つ、というか、むしろ先駆けというか、難しいメカニックやエレクトロニクスを使わない非常に洒落た、一定の機能を持った面白いものを考えていただきました。これは「コンブス-ツ」という名前で通常言われているようでございます。腰を曲げて作業するということについて、例えば私が何かやれと言われたら、『これをつけることで随分楽になるだろうな』、『雪はねのために、もう少し簡単に改装してくれないかな』と思っておりますけれども、そのような仕事ができたということがひとつでございます。こちらが知事表彰をいただくということになりました。

二つ目は、少し、サイエンティフィック(scientific)なお話しでございますが、DNAマーカ-を開発した長年に渡る仕事でございます。農業試験場のグル-プが仕事をしてこられました。これは、様々な流れの中で、局部まで行くと遺伝子組み換えのような仕事がありますが、日本では、特に北海道では、それをしないということでございまして、そこにコンパラブル(comparable)な能力を与えるようなマーカ-を、きちっと、それもあまり手間暇をかけずに、DNAマーカ-を使ってうまく品種改良をして能率を上げようというものでございます。本当に、北海道の農業試験場が自ら持っている立派な仕事であると思っております。これからも色々な展開があることと思います。これは麦を中心におやりになったと聞いておりますが、これからDNAをベースにするような化学生物工学というのは21世紀の大きな課題でございますので、ご精進いただきたいと思っております。ご苦労様でございました。
それから三つめは、ブナ林の研究でございます。黒松内の辺りが日本のブナの限界だと聞いておりますけれども、林業試験場の道南支場を中心といたしまして、長らく研究をしてこられました。おそらく、東京農業大学の 寺澤 林業試験場前副場長がおられた頃からの仕事がずっと続いているのだと思いますけれども、立派な成果の本を拝見させていただきました。ブナというものは、非常に面白いサイクルを描いて種ができる。なかなか大変でございましたが読み進めてみましたら、素晴らしい科学的な根拠を見つけましたね。しかも、ブナを北限界の中できちっと育てていくためにはどうしたら良いかということで、種を保存するという研究まで進めていらっしゃるということで、道総研として一つの立派な長くまとまった仕事で、業績においても立派なものになって残っていると思います。

そういったこともありまして、この三つの研究は、非常に長い時間を経て立派な成果を上げて、しかも将来に向かっていく展望を色々な分野に開いてくれている研究だろうと思いますので、今日、ささやかではございますけれども、表彰させていただくということにいたしました。
どうも、ご苦労様でございました。

それから、30年間働いていただいた皆様に御礼申し上げます。私ももう80歳を過ぎましたので何年働いたのでしょうか、大学を出てから60年を働いたのでしょうか、そのような気がいたしますけれども、30年というのは短いようで結構長い時間であります。そして、30年前どのような出来事があったのかと考えてみますと、青函トンネルの、おそらく先進導坑ができた年だと思います。それから、東京ディズニ-ランドができたということも、どなたかが教えてくれました。それからもう一つ、大韓航空がサハリン沖の海馬島、ロシア語では何と言ったでしょうか、我々は海馬島と言っている島の沖で、撃墜されました。そして、NHKの「おしん」が流れていた時期であったと記憶しております。
自分のことを振り返りますと、ちょうど1983年、文化大革命が79年に終わりましたので、終わってすぐに、中国の、北は黒竜江省から南は海南島までの大学の、文化大革命の間勉強していなかった講師、若くても40歳代が多かったのですが、講師と高級設計院の工程師(技師)を集めて、西安の大学で60日間、毎日3時間ずつを3カ月近く集中講義をした記憶があります。ちょうど83年ですから、皆さま方が道総研にお入りになった年だったと思います。私はちょうど50歳だったと思いますけれども、そのようなことを思い出しますと30年というのは長い時間でございますし、当時の中国の「よたよたぶり」と言いますか、土曜、日曜は電気がこなくて水道も出なくて、それが今や尖閣諸島という島の所までやってきましたので、大変な30年だったと思います。その間、色々な仕事をしていただいて、道庁の研究所から道総研の研究所になるという大きな転換を含みながら働いていただきました。本当にどうもありがとうございました。
これは働いていただいた方だけじゃなくて、今日表彰された研究の三つのグル-プを含めてでございますけれども、関係の方々、ご親族の方々、仲間の方々のサポ-トがあって、もしかしたら30年の間に病気もなさったかもしれませんけれども、なんとか克服して働いてこられて、本当に良かったことだと思います。まだもう少し時間をかけてお仕事をしていただけたらなと思っております。

道総研ができましたときに理事長を拝命して3年半がたち、4年目になったわけでございますけれども、所属している各部の方針で何かの仕事を行うという、もしかすると、あらかじめ課題が降ってくるような格好での仕事もたくさんあったと思うのです。今もあると思いますが、3年間のうちに皆が自分たちの頭を使って、何が問題であるか、何が課題であるかということをしっかり考えていただいて、仕事をしていただけるようになりました。しかも、22の研究機関が横の人が何をしているかをほとんど知らなかった状況から、今であればもうほとんどの方が色々なことを横目で見ながら、少なくとも自分だけではなくて、道総研として仕事をするようになってきたと思います。そういう意味では、安穏というのでしょうか、努力をしていただいたということと、その努力が成果として表れてくる。これは「アウトプット(output)」という、英語でいうと変な言い方なのですが、「出力が出てきた」という風に思っております。その出力も、かなりまとまった格好の出力が出てきたなと思っておりますが、もう一段、おそらく第二期目が再来年から始まりますけれども、この次はその出力があるだけではなく、『出力が本当に世の中を変えていくことができるのだろうか』、『世の中に役に立っているのだろうか』という、英語で言うと「アウトプット、アウトカム(outcome)」ということになるのですが、道総研はアウトカムに関してはまだまだだと思います。これは、30年以上頑張っていただいた幹部の方々の持っている総合力、問題の判断力、課題のえぐりだし方だと思いますが、今日、立派な仕事をされた三つのグル-プは、アウトカムでも非常に立派なことをしてこられました。皆がアウトカムをしっかり出すということが第二期の大きな仕事になると思いますので、どうぞ、30年のキャリアを活かしていただいて後輩のために、リ-ダ-として働いていただきたいなと思っております。

今日は本当に、色々なことを思い出していただくことになると思うのですが、長い時間、また、これからもしばらくの間、頑張っていただきたいと思いますので、お祝いを兼ねて、どうぞ、よろしくお願いいたします。
今日は、本当におめでとうございました。
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プロフィール
HN:
丹保憲仁
年齢:
91
性別:
男性
誕生日:
1933/03/10
趣味:
カメラ
自己紹介:
・主な経歴
 水の安全保障戦略機構議長
 日本水フォーラム副会長
 北海道大学名誉教授(第15代総長)
 放送大学名誉教授(第5代学長)
 第89代土木学会会長
 第2代国際水協会会長
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