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一般財団法人北海道河川財団会長 北海道大学名誉教授(15代総長・放送大学名誉教授(5代学長))
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日本水フォーラム副会長
                                      工学博士
                           北海道大学名誉教授(15代総長)/
                             放送大学名誉教授(5代学長)
北海道河川財団会長
                                      丹保 憲仁
                                
 人類を70億人位まで急増させた近代は、鉱物由来の駆動エネルギー枯渇、あるいは廃棄物としての温暖化ガスの増加で、もう50年とは続かないでしょう。100億人を超えるホモサピエンスが、快適を求め、社会の規模と消費を拡大することが出来なくなるでしょう。地球はそんなに大きくありません。

 人口と消費を共に抑制し、生存の基本をしっかりと担保し、自然再生エネルギー(太陽による)が使える範囲内に、文明を再構築することが求められます。基本は、水循環に依存する流域圏の自律的再構築です。物質代謝を域圏にとどめつつ(閉じた物質代謝)、情報は世界に開かれた新しい文明を限られた再生エネルギー量で作り出すことになるでしょう。 果てしない足し算を続けてきた、成長を基本とする、近代300年のベクトルを収め、地球有限が現実となった今日の世界から、持続可能(Sustainable)を基本に置いて、本質以外のものを必死に引き去り、次の文明が2050-2100年の半世紀の苦闘の上に、22世紀初頭には人類の新しい生き方として定着するでしょう。SDGsはそのきっかけにしかすぎません。

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2020.01.22


 北海道大学教育研究評議会・評議員の皆様へ


北海道大学名誉教授(15代総長)


丹保憲仁


拝啓


日ごろの北大の運営の中核の責任者としてのお仕事ご苦労様です。特に、この1年の異常な状況下でのご苦労のほど、自身の現役時代を考えると察するに余りある日々と存じます。学生と一般の教職員のために、力を尽くしていただきたいと思います。


さて,昨年110日の北海道新聞に「北大学長選挙法を変更」という記事が出ており、名和総長の解任を総長選考会議が7月に文部省に申し出たことを受けて、評議会の意見を踏まえて選考方法を見直すとの記事が出ていました。


どのようなことかよくわかりませんでしたので、北大の旧知の教授さんに聞き合わせたところ、昨令和元年1223日に笠原総長職務代理先生から教育研究評議会評議員各位あての総長候補者の推薦について(依頼)文書を見せていただきました。


115日の教育研究評議会で意見交換し、1月末を目途に臨時の評議会を開催し成案を得たいとのことでした。提案が総長選考会議学内委員名で添付されておりましたが、どのような組織がどのような議論をどのような権限でしたのか全く不明でありながら、重大なことが提案されているのに驚きました。


 


問題と思って御勘考をお願いしたいと思ったことを、端的に申しますと次の3点です。


1.教育研究評議会評議員は学内の教育研究の諸案件を実質最終的に決める、権力機構の構成員で、個人個人ではなく評議会という機構・組織を通じて諸事案を決める役目の人であろうと思っています。


2.北海道大学はじめ多くの国立大学が、総長選考会議というものを認めつつ、学内の教員等の意向を広く反映させる仕掛けとして選んできたのが、ある数の学内推薦人が推挙した人を、学長選挙の1次候補者とする仕掛けでした。そこに評議会という一段上の意思決定機構(権力機構)の推薦者を並行的に加えることは、ヒエラルキーの異なるものを問題なく並置することによって、実質的に評議会推薦の候補者が大きく優位に立ち、おそらく他の推薦人による候補者は泡まつ候補となる可能性すらあります。

したがって、原点に立ち戻り、評議会としてではなく、識見ある教員が20人ずつ一教員として候補者を推薦すれば、総長選考会議学内委員というオーソライズされていない意見によって拙速に問題を論ずることなく、法人の総長選考会議に、学内教員の偏らない推薦ができると思います。


3.意向投票を1回しか行わず相対的な得票結果を総長選考会議に預けることには賛成しかねます。決選投票を経て、明確な1位と2位が票数をもって示された上でならば、総長選考会議が十分に考えて結論を出し、全学が納得できると思います。基本は最多得票者が選ばれるのが普通です。もし一回の投票のみで、下位の候補者が選ばれるとすると、全学はなかなか新総長とそれを決めた選考委員会のプロセスを受け入れがたいでしょう。 


小生が総長であったのは20年も前のことで、時代のことは現役世代の英知によりたいと思いますが、文部科学省の大学設置審議会会長、国立大学法人評価委員会委員長、大学基準協会会長などを務め多くの大学の評価や公私立の大学の設立に関わってきたものとして、法人化の後の教育研究評議会としての権威にこのようなことで傷をつけていただきたくないと思います。評議会は過剰な学部教授会の強権限を修正した総合大学の要の機構です。機構の役割とフラットな教員層の持つ貴重な推薦の役割がともに損壊しないことを老生は願っております。


敬具


2020.04.15



北海道河川財団会長として働いています。



丹保憲仁



 北海道立総合研究機構の理事長を3年前に退任し、以前より就任していた、北海道河川財団会長を続け、週3(月曜ー水曜)、札幌駅北口の100mほど北にある、伊藤110ビル9F(北洋銀行北7条支店の最上階)の河川財団の会長室で、国土交通省、北海道開発局の河川系のOBである、後輩の皆さんたちと働いています。足が弱くなって不自由はないのですが念のために、杖をついての3本足の爺さんです。北大に車を置いて、1,300歩、歩いての通勤です。老人のプリウスによる交通事故が世の問題になっていますが、小生もプリウスでの出勤で、決まった道を決まった時間に最大限の注意で運転しています。10年以上の無事故無違反ですが、少心、小心で姿勢を正して走っています。



長い間、水環境工学、都市水工学の専門で教育研究に働いてきましたが、北大の大学院までの専攻であった、河川工学の分野に立ち返って久方ぶりで、河川水利、災害、ダムなどの勉強をしています。



北海道大学時代のほぼ半世紀にわたる、専門の一番狭い最専門分野の、水処理工学に関する研究業績をまとめて、水処理工学の基礎(上・下巻)1,200頁を、小笠原君(元北海道環境衛生部長、公営企業管理者)と共著で日本水道新聞社から平成28-29年に上梓することが出来て、北大工学部丹保研の職員、院生、研究生などの労苦をまとめて公にすることが出来ました。



今、その中のエッセンスをまとめて、Physical and Chemical Separation in Water and Wastewater Treatment (800page) を丹保が第2代会長を務めた国際水協会(International Water AssociationIWA)の出版部門(Publication office: London)。から5月に出版しようと最終校正中で苦戦しています。小笠原紘一君との共同作業です。英語の研究論文はたくさん書いてきましたが、800ページもの大冊を英語で書き通すのは、初めての経験で基基礎語学力に関わるnative speaker でない困難を克服しきれないで、ロンドンの編集者に面倒をかけています。



この3月で、87歳になりました。すべてがゆっくりとしか進まないこの年で、専門の学問の仕事はこれで終わりになるでしょう。もう新しいアイデアが出せなくなっていますが、本を書いているうちに、是まで気付かなかった新しい大きな知見を2つ三つ見つけました。本を書くのも創造であることを知って嬉しいことでした。一緒に研究をして呉れたたくさんの仲間に最後の返礼が出来そうでほっとしています。



気分はよくありませんが、新型コロナウイルスの足止めには影響されずに働けることを有難く思っています。


2018年(平成30年)3



 



3月末日を以て北海道立総合研究機構理事長職を去ります。



ありがとうございました



 



丹保憲仁



002-0852 札幌市北区屯田24丁目10-33



 



1957年(昭和32年)4月北海道大学工学部衛生工学科創設メンバーの一人として講師に採用されてから60年間フルタイムの仕事を続けて今日に至りました。



北海道大学工学部衛生工学科の講師、助教授、教授として1995年までの38年間を環境水工学の研究に丹保研の職員・学生と一所懸命に働いて日本の戦後の環境整備に努めました。多くの卒業生を日本の環境工学分野の核として送り出すことが出来ました。



1991年から学生部長(2年)、1993年から工学部長(2年)を務め、北大の学生紛争の終結、大学院重点化(工学部л型複専修プログラム)の仕事をまとめることが出来ました。



1995年から26年北海道大学総長を務め、全学共通カリキュラムの展開、大学院全課程の重点化完成、北キャンパスの研究機構への展開、サクシュコトニ川の再生、18条アンダーパスの開通、平成ポプラ並木の植樹、新渡戸先生像の建立など21世紀末に向けて北海道大学の教学・学園の環境整備を始めることが出来ました。



2001年から26年放送大学長として千葉県幕張を拠点として、北海道大学では望んでもできなかった、生涯教育、遠隔教育の仕事を日本全国にわたって広げることに尽力できました。北海道大学、琉球大学を皮切りに全国54の拠点センターを各地の主要大学等と組んで展開することが出来たのと、新しい衛星放送を核とする新システムを含む日本最大の通信教育システムを創り始めることが出来ました。世界とアジアの通信教育大学連盟の常任理事として、多くの国の専門家と一緒に仕事が出来ました。



幕張という東京に近接し、成田空港に近く諸外国との行き来も容易な位置に6年間務めることのできた間に、北海道ではなかなかできなかった、大学設置審議会会長、大学基準協会会長、国立大学評価委員会委員長、国土審議会委員(首都圏部会長、北海道部会長)、学術会議会員(2期)を務め、土木学会の89代会長を務め、国際水協会の副会長2期、会長(第2代)をロンドンベースの事務局機構とも容易に行き来して務めることが出来ました。



多くの諸外国の大学、学協会から名誉博士、名誉教授、名誉会員などにも推挙していただきました。



放送大学長を終えて、北海道に帰って来てから3年間北海道開拓記念館長として、郷土の歴史、文化を学ぶ機会をいただきました。2010年に北海道開拓使以来の歴史ある22の道立の研究所群を統合して北海道立総合研究機構を創設することに参画させていただき、今日まで理事長2任期8年を働かせていただきました。農業、水産業、林業などについては全くの素人であった小生に多くの所員が様々に知識と経験を伝授してくれて、1次産業を大きく基盤とする北海道の未来のために何をなすべきかを学ばせてくれました。



2009年には瑞宝大綬章を天皇陛下からいただき、2010年には北海道功労賞、国際水協会会長大賞(Presidential award for Global vision)などを国内外からいただきました。



今年85歳になり、積み重ねた経験以外に新たな飛躍的展開を図ることが、知的にも体力的にも限界に近いことを感ずるこの頃です。経験と知識だけを売り物にしてもリーダーは務まりません。通常の方の定年の後から20年余も働き続ける場を頂き、自身の勝手な感覚ながら、仲間に助けられて日々努力することが出来、後期高齢者になってからの10年も若いころに近い程度に頭と体を働かせることが出来ました。この年(85歳の末期高齢者)になって、伸び代が知れたものになってきたことを自覚する日々です。次の世代にバトンを渡す期です。ご支援いただいた皆様に感謝申し上げて、老兵は静かに自分の領域(水工学)に戻っていきたいと思っています。昔の丹保研の大学院生・助手(後の北海道環境衛生部長・公営企業管理者)の小笠原紘一さんに手伝ってもらって、老・小老ペアーで、小生の狭い専門である『水処理工学の基礎(上・下巻)』(1200ページ)、と若いころから書き溜めてきた『近代の終焉:大変革の21世紀』(200ページ)の本をまとめることが出来、心安らかに現役を去ります。



本当に何のとりえのないただの凡人を諸機構の中枢で60年間働かせていただきました。ご支援、ご教授いただいた皆々様に心から御礼を申し上げます。



 


 新しい年を迎えて、道総研も創立8年目を迎えます。顧みれば、理事長として仕事を始めた時、機構の皆さんに「少し長めに」「少し広く」「みんなで力を合わせて」新しい研究機構を道民の生活(Quality of Life)がよりよくなるように働こうと話しました。北海道開拓使以来100年以上の伝統を持つ道の試験所群はそれぞれの分野でよい仕事を続けてきましたが、行政の各部に所属する試験機関として、縦割分野での課題に傾注して成果を上げてきたと思います。20世紀に人類が獲得した最大の科学概念は、システムです。近代前期の20世紀(成長の時代:科学発見時代)までに形成された多くの科学技術要素を、目的に応じて組み合わせるという近代後期(環境の時代:科学技術の時代)の総合化時代の要請です。

 道総研も、この8年余の年月をみんなで力を合わせて、分野横断的に仕事を進め、「食」「エネルギー」「地域」などをキーワードとして成果を上げてきました。次に要請したことは、「研究のアウトカム」を常に意識することの重要さで、特に課題設定に責任を持つ幹部職員に対する期待でした。アウトカムという言葉は理解しにくい部分もありますが、仕事を計画遂行する場合に、その成果が世に人々にどのように受け取られるかを常に考えることです。経済界で「消費者目線」などと言われていることに近いかもしれません。開拓使以来100年以上も試験所・研究所は、自分たちの開発・育成した技術を広く普及する形で北海道の産業を引っ張ってきました。いまや、民間の多くの個人、団体が広く情報を学び高度の試行錯誤を自ら行える状況にあり、大学・高専などに研究の場も広がっています。それらを常に意識して、双方向的に仕事を進めていかないと仕事が非能率、時には間違ったことになってしまうかもしれません。根釧農試が100余頭の牛を使った研究成果を基に仕事を進めることから、民間と組んで数万頭の牧場群の牛の日々のデータを集めて、より高い精度と信頼性で問題を扱い、必要に応じて自らの牛で生理実験を加えるといった方向に進んでくれました。ビッグデータを日頃の酪農家との信頼の上に提供してもらい、提供に応じて確度の高い研究成果を農家に速やかに返すという、近代後期の情報化社会での研究手法を確立しつつあります。嬉しいことです。他の多くの研究所群もぜひ自らの分野で、情報化時代の、しかも民間の技術レベルをも取り込んだ研究システムを工夫してほしいと思います。



 最後になりますが、次の段階に道総研が考えねばならないことは「北海道独自の基本的な仕掛けを作る」ことにあるのではないかと考えます。北海道の弱点は、圧倒的な1次産業を持っていますが、独自の2次、3次産業が十分に展開していなく、大きくても他地域の部品産業に終始し、努力が北海道の基本力になりきれない憾みがあります。独自の完結した産業を「看板と内容」ともに地元のものとして持ち続けられる産業をいくつ作れるかがカギです。大企業が総売り上げを競い全GDPは上がったけれども、利益率はさほど大きくないといった日本経済の近年の低迷から脱却し、中小規模でも特色ある利益率の高い地域産業を北海道に起こしていきたいものです。環境問題を、環境を監視するという発想から、環境を管理運転する仕掛けを作ることに力を尽くしたいと思います。エネルギー問題と水資源問題が近代後期の最大の環境問題になりそうです。22世紀の安定した生存環境の獲得の為に、ソフト・ハード両面の道総研の長期の奮闘が望まれます。



 私も85歳になり、若い頃の様に無理が出来なくなりつつあります。若い方に期待して3月には理事長職を去りたいと思っています。意義のある時間を一緒に勉強させてもらったことを感謝しています。


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プロフィール
HN:
丹保憲仁
年齢:
91
性別:
男性
誕生日:
1933/03/10
趣味:
カメラ
自己紹介:
・主な経歴
 水の安全保障戦略機構議長
 日本水フォーラム副会長
 北海道大学名誉教授(第15代総長)
 放送大学名誉教授(第5代学長)
 第89代土木学会会長
 第2代国際水協会会長
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